ベルギーでつわり

過去ログです。プロフィールとして、アメリカに引っ越してこれまでにあったことをなるべくまとめて書いていきます。

私の妊娠が判明したのは第5週目で金曜日だったんだけど、実はその次の週には日本へダンス公演のために立たなきゃなんないことになっていた。自分としてはもう妊娠していることは何となくわかっていたけれど、とにかくつわりとか流産とかが怖くて、一応先生と話がしておきたかった。何せ初めてだから。日本には練習のために1週間かそこら滞在してから次の公演先ベルギーへ行くことになっていた。日本へ立つ前にインターネットで調べてみたら、何とベルギー滞在中にばっちり重なっている。でも今さらキャンセルなんてとてもできない。まずはウォークインで一般内科で尿の検査をしたら、ハイヒールを履いた化粧の濃いロシア人の女医がカツ、カツ、カツと廊下を歩いてきてバーン!とドアを押して「あなたは妊娠してるわよ!OK?」と大声をあげて部屋に入ってきた。OK?って言われても。。。

その後産科へ。そこでおそるおそる聞いてみると「何?ダンス?」と大きな声で聞き返された。「え、ええ・・・でも演劇のようなパフォーマンスのような舞台なんです・・・でも飛んだり回ったり飛び跳ねたりはいっぱいするけど・・・・もごもご」すると先生は大きな目をキラキラさせて「ダンス!ベリーグー!」とサルサのような動きで腰と腕をくねらせた。「ダンスは体にいい」とおっしゃる。「大丈夫。君はたぶんつわりはないよ。考えたり不安に思ったりしたらそうなるから、何も考えずにいなさい」とのこと。ホンマか、とは思ったが、まさに今聞きたかった言葉だったので「わかりました!」と手を握って素直に従った。ああ、よかった。日本だったら飛行機に乗るのにも反対されたかもしれない。アメリカに住んでてよかったと思った数少ない場面であった。

産科の先生の予言通り無事日本での練習を終え、いよいよベルギーへ出発する前夜のこと。泊まっていた実家にはインターネット回線がないのでネットカフェに行った帰り、思わず自転車からすべり落ちそうになるほどの吐き気をもよおす。一瞬のできごとだったが嫌な予感がした。しかし先生の助言に従って「時差で疲れてるんだろう」と気にしないことにしたら、本当にそのまま何も起こらなかった。ただ朝コーヒーを飲んで歯磨きをすると、まことにスムーズにげろげろげろと食べたものとコーヒーを吐き出してしまう。その後はスッキリ。でもお腹がぶくーっと膨らんで恥ずかしかった。この頃赤ちゃんはまだ小指の爪ほどの大きさだろうに、何だかわからないけどお腹だけはデブってた。他の共演者達はみんなすらっと細かったのでなおさら恥ずかしい。この時期って絶対まだ妊婦に見えないから、そんでもって初期はあんまり人に妊娠のことをベラベラ話さない方がいいらしいから(流産の危険性が高いから)大抵ただのデブに見られるのだ。まあ、そう言いながらも、たまにちょこっとベルギービールを飲んだりシャンペンを飲んだりしていた。ヨーロッパってみんな結構お腹大きくても3日に1回くらいならアルコールもいいだろうみたいな感じで、妊婦もお店で飲んでいる人がいた。何かいい感じである。私もせっかくベルギーに来たんだからと、がんばって飲んでいたが、やっぱり体が受け付けなくて悔し涙を流したものだった。

そんなわけで、つわりはなかった。
ただ3回だけ、どれも5分から15分くらい気分が悪くなったくらいだった。
踊るのにも何の不自由もなく、深刻な睡眠不足ながらもまあまあ元気だった。
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ブリュッセルでの公演も無事終わりパリへ。ただ友達と恩師に会いに行っただけだが、さすがに帰りはぐったり疲れ、ブリュッセルへ戻る4時間のバスの旅も爆睡。バスの着いた南駅周辺はものすごく汚くて乞食も多く、吐き気がするくらいの臭気が漂っていた。ブリュッセルって綺麗なところはとても綺麗だけど、公園なんかも汚いところはNYよりも汚くてびっくりする。このときばかりはマジで吐くかと思ったが何とか押しとどめ、変に親切に道を教えてくれたおっさんにまとわりつかれながらも、やっと路面電車に乗って友人宅へと戻った。ブリュッセルは小さくてどこへでも歩いて行けて、とても住み心地良さそうなよいところであった。
ブリュッセル公演についての詳細はこちら↓
http://bocian.exblog.jp/7151241/ 
http://bocian.exblog.jp/7160915/)

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帰りはアイルランド、ダブリン経由の飛行機。4時間ほどトランジットの時間があったのでダブリンのダウンタウンをうろつきながら、やっぱりギネスにトライ。しかし心とは裏腹に体が激しく拒否して、ほとんど飲めなかった。これが妊娠期間中ほぼ最後のアルコールとなった。ちなみにアイルランド料理は・・・塩っ辛い。。。

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# by flyingbocian | 2009-03-27 15:08 | 妊娠と妊娠するまで

結婚するまで・妊娠するまで

過去ログです。プロフィールとして、アメリカに引っ越してこれまでにあったことをなるべくまとめて書いていきます。


  学生のときに知り合った現在の夫に出会ったのは1997年の終わり。うかうかしている内に今年でもう12年も経ってしまったんだなあと思わず深呼吸してしまう。2000年に母が病に倒れ、学校卒業と同時に日本へ帰国して2001年の1月17日に母が亡くなった。そのまま1年半もの間日本で何となく暮らしていて、2002年に結婚のため渡米して再びニューヨーク生活が始まったのだけど、そのころの自分は遠い残像くらいにしか憶えていない。いろんなことを夢見ていたように思う。それが悪いというのではなくて、そして今も同じように夢見がちな人間だけれど、とにかくあの頃はダンスを作りたくて故郷の京都のようにダンスのコミュニティを作りたくて、でもニューヨークにはニューヨークのセオリーがあって、それが自分とうまくいかなくてもがいて、とにかく家庭とか子供とか考えたりする余裕はこれっぽちもなかった。夫は今も昔も野心などというものから程遠く、アーティスト志向からはさらに一千億光年くらい程遠く、なによりも家庭第一の人だから最初から子供を欲しがった。私はというと聞く耳持たず、今となっては全く思い出せないが随分ひどいことも言ったような気がする。それは母に対しても同じで私は自分勝手な、違う考えを持つ人の気持ちを配慮したりできないような人間だった。それでもその母が亡くなっていろいろ考えて、結婚した。逆に言うと母が亡くならなければ結婚はしていなかったかもしれない。それが良かったのかどうかはよくわからない。

  2004年、まだ地道にダンスを続けながら私はニューヨークのソーホーにある有名な寿司屋でフルタイムのバイトを朝から深夜までしていた。ここがまあ何と言うかニューヨークの社会構図を縮小したような場所だった。経営はユダヤ人でマネージャー達はアジア系アメリカ人、トップ寿司シェフたちは日本人で巻物を作るのは中国人、奥のキッチンで前菜や寿司以外の品物を作るのがラティーノ移民、閉店後の深夜から早朝まで掃除するのはおそらく不法移民のラティーノ。アジア系アメリカ人と少数の日本人がウェイターを務め、ヤッピーな金持ちアメリカ人客からチップを稼いでいた。トップはあまり働かなくても優雅にバンバン稼ぎまくり、下の者は血と涙の汗をかいて必死に働きながら少しの稼ぎしか手にできず。とはいえ私たちウェイターはちゃっかり稼いでいたのであまり文句は言えないが、骨までしゃぶられるように働かされたのでそれくらいもらって当然、本当はその倍くらいもらってしかるべきと今でも思う。ウェイターにもサービス業にもプロが存在し、その技術と労働にはたくさん支払われるべきなのだ。そこで働いたのはほんの半年だったが、次第に何のために働いてるのか、人生の意味は何かがわからなくなり、体も気持ちも繊細な私は死ぬほど疲弊して死ぬほど世間に嫌気がさした。その影響だかどうだか、ようやくその頃から子供を作ろうと二人の意見がそろい、かなり一生懸命がんばってはみたが(笑)なかなか子宝には恵まれなかった。結局仕事はブッちぎれて辞めたがその後もしっかり月のものはやってきた。その後1年以上働くことができなかったのだから、私がどんなに疲弊していたかわかってもらえることだろう。

  特に医者にかかることもなく半年くらいして、お腹の下の方に固いものがあるのに気づき検診を受ける。6センチくらいのでっかい子宮筋腫だという。切るのを勧められたけど手術が嫌で、切ったら経路(体に走っているエネルギーのパッセージ)はどうなるんだろうとか思って、東洋医学で治そうと漢方、鍼灸、マッサージを大枚はたいて集中的に受けたが、なぜか3ヶ月後9センチまで大きくなった。ががががーんと、かなりのショックだったが、このままもっと大きくなると子宮全体を取らなきゃならなくなるかもと言われ、半日入院して切った。でもやっぱり月のものは律儀に必ずやってきた。

  そうこうするうちに1年が過ぎ、2年が過ぎ。旦那の精子の量が少ないだとか、それに効く漢方だとか、それがてきめんに効いたとか、喧嘩して離婚騒ぎになったりだとか、排卵を誘発する注射を毎月打つ治療法の説明会に行くだとか、行ったけど排卵日の関係でその日のうちにエコーを取って誘発剤を購入しなくてはならないだとか、でもどこで買ったらいいんだろうとか、受付の人のミスで診療時間内に診察されなくて間に合わなかっただとか、仕事で日本に帰ったりだとか。またまた月日は流れ、再び緊迫した離婚騒動に直面し、もうええわい(ちなみに関西出身です)と思って日本に2ヶ月ダンス公演のため滞在し、帰ったら本当に離婚するという話になっていた。公演が終わって一旦ニューヨークに戻ったけれど、なかなか二人とも離婚の話をすることができない。やっぱりまだお互い未練があるのか、ただの根性なしなのか、まあ離婚ってそんなに簡単じゃないということだろう。おまけに1ヵ月後には同じダンス公演のためにベルギーへ行くことになっていたので、少しエアポケット的な宙ぶらりんな状態。時差ぼけもあってぼーっとしていると、そういえば月のものさん、今月はお出ましが遅いなあということになり、ベルギーへ旅立つ1週間前に妊娠が判明した。5週間目だという。この辺のことは次回に詳しく書かせてもらうけれど、とにかくそのときは単純に「ミラクルだ」と思った。私のモンチキン(Munchkin:おちびちゃんみたいな意味)がその頃5週目の命として私の中に宿ってたと思うと今さらながら感無量だ。旦那はいまいち実感しにくかっただろうが、私は身体的な症状はまだなかったけどオンナの本能で直感・予感・実感しまくっていた。戸惑いは去り目前には妊婦への道がサーッと滑走路のように伸びていた、ぼうちゃん37歳であった。(とここで無理やり赤裸々な第1話おわり。...to be continued)

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# by flyingbocian | 2009-03-18 12:34 | 妊娠と妊娠するまで

このブログについて

こんにちは。
小さいころ男の子みたいだったせいか、単なる音の偶然か、小学校のころから現在に至るまであだ名は“ぼうちゃん”。京都の町中ですくすくと育ち幸福に生きていたのに、何の運命だかアメリカはNY在住およそ10年。ポーランド人と結婚して念願の子供を2008年のクリスマスイブに出産。毎日忙しいようなヒマなような、でも何故だか涙が出そうな胸いっぱいな、新しい自己の生活を組み立て中。最近何もしてないけど自称ダンサー。ヨガとアレクサンダー・テクニックを教えている。万年日本に帰りたい病でNYと英語が苦手。子育ての合間を縫って小説や詩を書こうと奮闘するも、そんな時間も精神力もなく、とりあえずは皆が寝静まってからつれづれてみようと新しいブログを始めました。よろしければお付き合いください。


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# by flyingbocian | 2009-03-18 10:43 | 自分のこと

あかるはん、その後

いち。

ついに日本領事館へ出生届を提出。これであかるはんも立派な多重国籍者に。
それにしても領事館の人はやさしくて、アメリカの出生証明書のコピーを忘れても何も言わずに「コピー取ってきますね~」と親切だった。感激。アメリカの施設だったら追い返されてたぜ。

あかるはんは本来、ファースト・ネームが日本名、ミドルネームが英語名、ラストネームがポーランド名なんだけど、日本の戸籍では私の苗字を引き継ぐ。ミドルネームも入れたら、日本ではファーストもミドルも、ラストネーム(氏)でないものは全部一緒にファーストネーム(名)となるそうだ。間に点とかスペースとかも入らない。なのでもし日本に住むことになって学校でテストを受けるたりするときは、彼の名前はアカルマイケルとなる。変なのでミドルネームは外そうかと思ったけど、一応韻も踏んでるしいっかと思い、アメリカと同じにしておいた。ひらがなにするかカタカナにするかかなり迷ったけど、最後の最後でカタカナにした。でも“あかるはん”はまったりとひらがなにしておく。

に。

2週間前、あかるはんは初めてベビーシッターのところに行かはりました。
知人に紹介してもらったエルサルバドール人家庭のところで、5人の子供を育て上げたおばあさんが面倒を見てくれることに。二階と地階に彼女の子供たちがそれぞれ家庭を持って住んでいて、この家には8人の孫がいる。見るからに子供が大好きな明るいおばあさん(といってもまだ若い)で、私は一度会ってすっかりこの人が好きになり、週に一度あかるはんをお預けすることにしました。15年ベビーシッターをやっているという彼女は、あかるはんを見るなり「グランデ~。ムーチョ・グランデ~」と超ビックリな様子。「まだ2ヶ月?これは3,4ヶ月の大きさよ~」やっぱり・・・。でもかわいい、かわいいとすごく喜んであかるはんを抱いてくれて、あかるはんも安心してじっと抱かれていました。

それでもあかるはんを置いて地下鉄の駅に向かう途中は、心配で心配で一瞬だけど胸が張りさけそうになり、小さい子を他人に預けるなんてしていいのかなとか思ったけど「えーい何でも試しじゃ~」と自由時間を満喫することに(ミーティングに行ったんだけど)。4時間後ピックアップに行くと、あかるはんはベビーベッドの中でぐうぐう寝てはりました。周りは学校から帰ってきた子供たちや、夕方から預けられている私の知人の子供やらでいっぱい。おじさんみたいな人も居間に座ってテレビを見たりしてて、少し前の日本みたい。そのまま奥の部屋で授乳をさせてもらいながら、小学生くらいの子供に通訳してもらって(おばあさんは英語ができない。彼女以外の家族はアメリカ生まれでみんな英語ができる。)いろいろ話をした。あかるはんの股の肉の間がおむつでかぶれていたらしく、ちゃんとクリームを塗ってくれていた。赤ちゃんにげっぷさせるときも「こうやってポンポンと叩くのよ」と教えてもらった。こういう時、大家族っていいなあと思う。こんな環境で子育てできたら不安になったりしないだろうなあと、またまた亡き母を偲んだ。

さん。

土曜日にあかるはんは寒い中再び電車に乗せられてマンハッタンに連れてこられました。私が時々読んでるNY専業主夫ブロガーの講演と本のサイン会が紀伊国屋であったからです。この人はアメリカ人奥さんと双子の子供とホワイトプレーンズで暮らしています。

グラセンまで着くと何とエレベーターは故障中。ストローラーでエスカレーターをあがろうと思ったけど、また電車に乗って次の駅で降りた。その駅はエレベーターもエスカレーターもないけど、地上からわりと浅いところにあるのでもう自分でストローラーを抱えて階段を昇ってやろうと決意。こっちの駅の方が本屋に近いのだ。多分誰か手伝ってくれるだろう。どきどきしながら階段を見上げていざ!とストローラーを抱えて一気にかけあがった。私のストローラーはでかいのだ。軽くはないけどノープロブレムだった。3ヶ月前にお腹を切ったばかりなのに私ったらがんばり屋さん。改札は狭くて通れないので非常口用のドアを開けて出る。無人改札なのでアラームが響き渡るが無視。大体このアラームの意味がわからない。アラームが鳴っても誰も出てこないし誰も気にしない。次の地上への階段では通りがかりの男性が手伝ってくれて二人で運んだ。やっと着いた紀伊国屋ブックストアは、何故か二階のエスカレーターに乗るには従業員の人に頼んで外のエレベーターに乗せてもらわなければならない。なんやかんやで20分くらい遅れて着いた。その間あかるはんは終始スウスウ寝ておられた。

お話はバイリンガル教育のことを始めいろいろとタメになった。著者は山崎さんという方だが、双子のお子さんとは他に誰がいようと日本語のみで話すそうだ。アメリカ人の奥さんは日本語がわからないが、家庭でも3人は日本語、奥さんとは英語なのだそうだ。そうでないと子供の日本語能力が全然保てないということ。言葉というのは文化そのものであって、英語の国で住んでいようとアメリカ国籍を持っていようと日本人の文化を継承してアイデンティティを強く持つためには、日本語学習が必須であるということ。ハーフの子は(特にマイノリティ、異民族とのハーフ)たとえアメリカ人として生まれ育ってもやはり差別や、民族や習慣の垣根がある場合があり、同じ民族間で固まりやすいらしい。その中で親のどちらの国にも馴染めず孤立する子が多いという。だから半分でも自分のルーツをしっかりと持ってほしいんだそうだ。こういうことを聞くと、やっぱり日系やアジア系の多いハワイに引っ越したくなる。

本屋を出て寒風の吹くブライアントパークで粉ミルクをあげた。
寒さに強い子になるには違いない。
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# by flyingbocian | 2009-03-17 12:43 | 2ヶ月目と3ヶ月目

あかるはん、イェイイェイどすか?

あかるハンはハッと気づくとにっこり笑ってなさる生き仏陀のような方だ。
いつも片方の腕を伸ばしてこぶしを突き上げてなさる。

いつも抱いてないとお泣きになるので、その傍ら私はいつも本を読んでいる。
こういうときに読む本はやはり短いエッセイかアジア旅行記か漫画かその類がよい。
この間あかるハンを抱いてマンハッタンのブックオフまで行った。
集中して本を選べなかったので、目の前にあるものを何も考えずに手にとって買い求めた。
無差別安全牌攻撃で家に持ち帰ったのは

島田洋七 佐賀のがばいばあちゃん
下川裕治 アジア迷走紀行
川上弘美 ゆっくりさよならをとなえる
他数冊
あまり文学的とは言えないラインアップだが、どれも見事に目的を果たしてくれた。
がばいばあちゃんなどは、恥ずかしながら産後のホルモンのツボにはまり、おいおいと泣かせてくださった。下川さんもただの紀行文に留まらず、アジアの空気を遠く離れたアメリカにまで届けてくれた。

今は最後の本、川上弘美のエッセイを読んでいるが、実は伊藤比呂美と勘違いして買ってしまったもの(バカ)。この人の小説は読んだことないけれど、エッセイはなかなか品があってするりと読ませて悪くない。字数が少ないので少し物足りないけれど、エッセイなんてはりきって書かなくてもよいんだなと思わせてくれる。ほのかな生活の温度が感じられるだけでよい。文化人の料理本が売れるわけである。作中に書かれていた壇一夫(あ、漢字がわからない)の料理本などぜひ手に入れたいものである。
これらの本に助けられて何とか時間を過ごさせてもらっている。

あかるハンはお昼ごろになると、格別にっこりなさることがある。
それは大抵プーのお知らせである。
このプーは英語で、まいてぃ、とか、おるてぃめいと、とかいうのがぴったりとくる。
そんなことみなさんは知りたくないかもしれないけれど、生活の温度として一応お伝えしておきます。

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# by flyingbocian | 2009-02-22 12:55 | 2ヶ月目と3ヶ月目

CRY OUT

ここ数日、私はcry outという育児法をしている。
これは私が解釈するに、赤ちゃんが泣いたら安全を確認したうえでそのまま泣かせておく、というやり方。こう聞くと簡単そうに思えるが、そう簡単ではない。赤ちゃんというのは、原則的に何か理由があって泣くわけでその理由をのぞいてやれば泣きやむことが多い。そしてそれをやってやれるのは親だけだから。

こんな私の育児も生後2ヶ月になって、ようやく新しい曲がり角に来たと思う。
泣き叫ぶ我が子を放っておいてもある程度気にならなくなった。
赤ちゃんは5分か10分くらい激しく泣きわめいて、声がかれて疲れて寝てしまう。
とても楽だ。
もちろんいつもそうしている訳じゃなくて、何かしなくてはならないときにだけこれを実施してるんだけど、1日に1回でも2回でもこれができると本当に楽。
この「気にならない」というところがポイントで、最初はやっぱり親としていろんなことがどうしても「気になった」。何をするにも、これがもとで死んだらどうしようとビクビクしてしまって、赤ちゃんが泣くと一緒に泣いてしまったりもした。しかしながら本来大雑把な性格であるし、おそらくホルモンも(ああ、心のふるさと鶴橋でホルモン焼肉が食べたい)バランスを取り戻して心と体が落ち着いてきたのだと思う。

おっぱいをあまり吸わなくても「気にしない」(粉ミルクは飲んでるから)。
顔に湿疹ができても「気にしない」(検診のときに医者に聞けばいい)。
お風呂で暴れても怖がらず押さえつける(ぎゅっ!)。
自分のことが何もできなくても「気にしない」(だって時間ないんだもん)。
うんちの量が尋常じゃなくても「気にしない」(これは少し気になる)。

本によると生後3ヶ月くらいまでは自我が目覚めていないので、放っておかれてもトラウマにならないそうだ。しめしめ。あと1ヶ月は楽ができるぞ。

てなわけで、どんどん育児が楽になる。
二人目はとても楽になるというのは多分本当のことだろう。
自然に気にならなくなったことは、自然に受け止めていきたい。
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# by flyingbocian | 2009-02-20 12:54 | 2ヶ月目と3ヶ月目

竹馬に乗って(子育て編)

フロッギー、フロッグ、フロッグ
さあオムツかえようね!
右はずし
左はずし
さあOK
何が入ってるかな

うわあ、すごいね、すごいの入ってたよ

母乳のうんちも
粉ミルクのうんちも
全部OK
さあ拭くよ

下から上へ
下から上へ
ワイプ、ワイプ、シュッシュ

さあミルク飲もう
高いんだから最後の一滴まで飲んでね
でも飲ませすぎると吐くよ
でも足りないと泣くよ

さあお風呂だ
裸になって
頭大きいね お尻くさいね
ぶう
あれ?もう、湯船でおならしちゃったのかな
タマタマ洗うよ
お尻洗うよ
全部洗おう
くっちゃいくちゃい

まつげ長いね
肌真っ白だね
何てかわいい オ・ウララ!
ほっぺに近づいて ん~ブチュッ

手足バタバタ
寝てたら顔叩かれるよ
いいよ、何度でも顔くらい叩いてよ
そのかわり老後はおんなじことしてね

泣くと必殺 哺乳瓶むぎゅ!
おっぱいむぎゅ!
ごめんね、この二つしかレパートリーないんだ
太るわけだね

さあスリングに入って
散歩にいくよ
エルムハーストのギョーザ屋さんだよ
え?もう飽きた?
でも安いんだよ にっこり笑って
うんちは大丈夫かな?
さあ行こう
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# by flyingbocian | 2009-02-17 12:51 | 2ヶ月目と3ヶ月目

哀願詩

どうして赤ん坊って何にもないのにこう泣くのだろうか
不安になるじゃないか
ついついお尻をぺんぺんしちゃうぞ
ポーチに出て大きなため息をついてしまう
保護者を追い詰めないでほしい

真っ赤な顔をして舌をU字型にして泣くなんて

あんまりじゃないか
つらくなるじゃないか

台所のチャーハンもぐちゃぐちゃになるし
いいことは何もない
親の心はもろいものなのだ

それよりもカウチに寝転んで
悠々とおっぱいでも飲もうじゃないか
私はゆっくりとミルクティーでも飲んで
バリの音楽なぞ聞いたりして
ゆったりと午後を過ごしたい
時間は無限にあるのだから
そのためなら何でもしてあげる

泣くより笑ってすごそうじゃないか

息子よ
いかがなものか

えーん

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# by flyingbocian | 2009-02-13 12:29 | 2ヶ月目と3ヶ月目


異国のNY砂漠で子育てを乗り切るため睡眠を削って綴るもしかして爆笑もしかして涙ほろり日記


by flyingbocian

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